「吹奏楽」というジャンル・文化はとっっっっっっっても微妙な立ち位置にいると思っています。
アメリカでは小学校の授業に義務教育として取り入れられることもあるほどメジャーな存在だけど(一般にはBrassBandとか呼ばれる、Wind Orchestraは今は海外ではあまり聞かない)、日本では全くもって意味の分からないポジショニングだと思っている。
今回は、そんな
- 吹奏楽という音楽カテゴリの特殊性
- 吹奏楽部というさらに変わったコミュニティの特徴
などの話をしてみたいのです。
音楽ジャンルとしてみた「吹奏楽」
まずは音楽としての吹奏楽のお話から。
なぜかクラシック扱いされる吹奏楽
たぶん吹奏楽関係者はよく実感していると思うんですが、世間一般に通用する「吹奏楽」っていう認識、ほぼないのですよね。
僕が一番最初にそれを感じたのは中学生の頃ツタヤにCDを借りに行ったとき。なんか吹奏楽のCDを借りてみようと向かったんだけど、「吹奏楽」なんて棚はどこにもない。
今でこそ吹奏楽というラックはたまに見かけるようになったけど、当時は「クラシック」の棚にも吹奏楽のCDはあんまり置いてなくて(店舗によるかも)、そもそも「クラシックの中なの?クラシックと吹奏楽って並列した関係じゃないの?」と子供ながらに疑問に思っていました。
まあこれは的を得ていたと今でも思っていて、吹奏楽っていうものがどうやら訳分からん状態になっているんだということはこの頃から気付き始めていた。
そもそもクラシックっていう言葉は「古典的」っていう意味であって、普段呼んでいる「クラシック音楽」のなんとなくの定義は「だいたいグレゴリオ聖歌からロマン派音楽まで」という感じです。
明確に線引きはなくてそのときどきで意味を変える言葉だけど、少なくとも時代と言葉の語源的にも1800年代くらいまでの音楽のために使われる言葉で、吹奏楽は普通に考えたら「クラシカル:古典的なもの」ではない。
ちなみに1900年までに作られた吹奏楽曲もたくさんあります。俗に言う「オリジナル曲」でもたくさんあって、例えばホルストの「吹奏楽のための第一組曲/第二組曲」はとっても良い例です(まあこれは微妙に1900年過ぎてるんだけど…)。
ホルストが偉大なのは、誰もが「クラシック」だと認める「惑星」などの有名な曲で名を残しているのに、吹奏楽界でも極めて有名なこのオリジナル曲を残していること。
一組は知っていても二組は知らない人、多いと思います。これも良い曲なので絶対聞くべきです!特に一楽章のユーフォのソロは素晴らしいですよ~。
じゃあ吹奏楽ってなに?
クラシックという言葉の定義が曖昧なのがいけないとは思うんだけど、とりあえずこの中学生のときの僕が言いたかったのは少なくとも現代で使われている「クラシック」という言葉で吹奏楽が括られるのはおかしいんじゃないかということ。
発展してきた歴史も違えば演奏される理由も違います。
僕が思う「音楽の一番合理的なジャンル分け」っていうのは演奏形態によるもので、どういう楽器、どういう編成で演奏されているかに着目するべきだと考えています。
例えば一般にイメージされる「クラシック」は「オーケストラ」と紐づけられることが多いですよね。じゃあオーケストラってなんなのよ、となると日本語では主に「管弦楽団」となります。
ここにすごくヒントがあって、要は人数はさておき、管楽器と弦楽器が含まれている編成だとオーケストラと呼ぶよということになる。
そうすると、例えば
- 室内楽
- オペラ
- バレエ音楽
なんかも演奏される編成的にクラシックと言って良さそうな気がしてきます。実際にもこの辺はクラシックとひとまとめに呼ばれている感はあります。
まあ実際にはピアノ曲や各種コンチェルトなんかもあるので全部は含められていないんだけど。
演奏される音楽の多様化が進んできている以上、音楽の内容でカテゴライズするのは難しくなってきているのもポイントで、例えば吹奏楽部で北島三郎を演奏したら「その演奏のジャンルは演歌なのか?」と言ったら断じて違うと思うわけです。この感覚、伝わります?
まあちょっと僕の意見が強く出てしまったけど、つまりは吹奏楽は管弦楽団とは違うよねということを言いたかった。
コントラバス奏者のみなさんに陳謝するのは前提とした上で、吹奏楽のサウンドに基本的に弦楽器はいないわけです。もちろんスミスが華麗なる舞曲やフェスバリにチェロを入れるようなのも例外中の例外です。
発展してきた歴史を考えると「ブラスバンド」とかっていう区分けならまだ理解できるんだけど、そうすると今度は「木管楽器はどこ行った?」となるんだよね。
「ウインドオーケストラ」はまだマシかもしれません。実はこの言葉はかなり厳密に定義が決まっていて、ちょっと僕もびっくりしたんだけど、Wikipediaにも
3本ずつのフルート、ファゴット、オーボエと各種のクラリネット、サクソフォンを加えた25名の木管楽器のセクションと6本のトランペットをはじめとする19名の金管楽器のセクションより成り、これに打楽器が加わった編成
とちゃんとした記載がありました。この表記を見ると今のだいたいの吹奏楽の形態とほぼ近いことが分かります。でも曲によって必要なメンバー(楽器)が変わるとかっていうこれまた吹奏楽の変わった特性もあるから、やっぱり吹奏楽は演奏形態をジャンルと紐付けるのは難しいんだよね。
色々考えるとやっぱり吹奏楽は「吹奏楽」として独自にブロックを作るのが一番自然なんだけど、音楽としての成熟が非常に甘いのでそうもいかない現実があります。他の「クラシック」とかに比べるとそこに肩を並べるレベルにはまだ全然至れていないのよね。ここはあとでまた少し話します。
演奏される曲目も「どういうジャンルなのか?」と言われると正直よく分からない
さっきまでの話は編成や楽器に注目していたけど、じゃあ「そこで考えた吹奏楽というジャンルで演奏される、吹奏楽っぽい曲というものはどういう音楽なのか」ということについても少し考えてみたい。
コンクールはもちろん、吹奏楽バンドでは色んな曲を演奏します。
- オリジナル曲と呼ばれる吹奏楽バンドのために書かれた比較的最近のもの
- さっきからクラシックと呼んでいるものを吹奏楽用にアレンジしたもの(よくオケ編とかオケものとか呼ぶ)
- その他ポップス系(ジャズだろうが演歌だろうが、上記2つ以外はなんでもこうやって呼ぶ風潮がある)
主に「通称」で括るとこの3つに大別されると思います。
クラシックで演奏されてきた楽曲が吹奏楽アレンジで演奏されることについては一旦置いておくとして(これもまた余計な議論を生む火種になる)、今回は話の流れ的にも吹奏楽オリジナル曲について考えてみた。
前の項で話したように、吹奏楽というバンドは
- 金管楽器
- 木管楽器
- 打楽器
- コントラバス
という編成が一般的で、ここに指揮者が加わって1つのまとまりになる。ピアノやハープ、チェレスタとかは例外にさせてください。
基本的にはこれらの楽器群で演奏される曲が「吹奏楽曲」になる、ということになるけど、そうやって考えてしまうと今度は吹奏楽オリジナル曲が持つ音楽的な特徴、それによる区分けができなくなると思っています。
本当に文字で伝えるのが難しくてこの辺は何度も消しては書いてってやってるんですが、つまりは吹奏楽団はなんとなく定義できても、吹奏楽という音楽的な定義は超あやふやなんじゃないかみたいな感じになると思います。
さっきから言っている「音楽的なジャンル分け」とは、超簡単に言うと「音楽の雰囲気が似ているもの同士でグループにすること」です。ジャズはなにを聞いてもジャズっぽいなって分かるし、アリランみたいな民謡系もそうでしょう。で、これらは多少楽器が想定と違っても音楽としての特徴を色濃く残すんです。
しかし吹奏楽にはそれがない。
演奏される団体も特定的な編成しか対象でない上に、音楽的に持つ「印象のようなジャンル」も弱いなどなど、この辺が最終的に「吹奏楽ってなんなの?」に結びついていると思っています。
こんなことを言語化している人はたぶん誰もいないだろうし、僕自身も漠然と思っていたことを文字にしてみたのは今回が初めてです。多くの人が読む気も起きないようなバカバカしい意見だと思うだろうとは思っていますが、突き詰めると案外みんなこういう部分が根底にあるのではと考えています。
吹奏楽で演奏される分類の話が出たのでまた別の余談を。
さっきの上2つ(オリジナル曲とクラシックアレンジ)をまとめてさらにまた「クラシック」と呼ぶやっかいな風潮が吹奏楽界にはあるんだよね。
よく見かけるのは演奏会のプログラム表記で「クラシックステージ」と称してそれ以外の「ポップスステージ」と区別するようなもの。「なんかそういうもの」として吹奏楽に関わる人には浸透しているけど、よく考えると変じゃない??と今回改めて思いましたとさ。
で、ここの結論は結局、アホみたいなんだけど「吹奏楽っていう編成で演奏される吹奏楽曲っていう音楽である」になるのかもしれない。
強いて言うなら僕らがよく言う「吹奏楽オリジナル曲」というものがきっとひとつの音楽ジャンルと呼ばれる、いや呼ぶべきなんでしょうね。
吹奏楽はまだまだ一般的に認知されていない音楽である
まあ色々言ってきましたが、結局は「吹奏楽っていうものが全然浸透していない、理解されていない」ことが色んなものの原因になっていそうです。
しかし、じゃあただ時間が経つのを親指くわえて待っていればいいのかというと実はそうでもないと思っていて、吹奏楽部というものが独自に進化してしまっていること、そしてその異様さが取り沙汰されるようになってしまったことが原因で、もう普通の音楽ジャンルとして成熟していく道はなくなっていっているように僕は感じている。
普通は時代とともにその音楽に関わる人が増えていって、演奏されるレパートリーも増え、演奏人口も増えて…という流れを辿るのだろうけど、「部活動」というものが吹奏楽の演奏主体だったことが原因で、その普通の道を辿れなくなっているんです。
次からはそこにも関わる「吹奏楽部」の話です。
吹奏楽"部"はさらにその特殊さに拍車をかける
相変わらず吹奏楽の話は長くなってしまうので本当ならもうこの辺で記事を分けたいところだけど、それをやるとまたここに至るまでの前段をどうせ話さなきゃいけなくなるので、続けます。
部活動という閉鎖的なコミュニティ
さっきまでは独立したひとつの音楽として吹奏楽というものを見ていたけど、その実態は主に部活動です。
…この時点でみなさんが心に思う反論は大方予想できますが、実はそういうのももともと部活として吹奏楽が発展してきたからこそのものだと思ってます(もちろん例外あり)。基本的にプロのある集まりなんかを見ても、それらが中高の吹奏楽部を意識している率はかなりのもんです。まあ脱線するのでここはとりあえず置きます。
例によって野球を引き合いに出して進めます。
ほぼ全ての野球部入部希望者は、野球がやりたいと思って入ってくるでしょう。野球のルールも分かっているだろうし、だいたい練習メニューの想像も付いていると思います。
だけど、中学校での初めての部活選びに「吹奏楽をやりたい」と思って吹奏楽部を選ぶ子は少数派だと思います。その動機はほぼ「楽器をやってみたい」なのではと思っている。
で、これ自体は全く否定しないどころかとっても素晴らしいことだと思っています。何十万円もする管楽器類などと触れ合える機会は普通に生きている限りは絶対ないし、人と一緒に音楽を演奏する経験自体があんまりできないと思うから。間違いなく吹奏楽の発展が"アコースティック楽器というもの"の広い普及に貢献しているでしょう。
ただそうすると問題になってくるのが、「楽器はやりたいんだけど、吹奏楽ってなんなのかはよく知らない」という状態が拡大してしまうこと。いや、別にこれ自体は問題ではないんだけど、これが原因で吹奏楽というコミュニティに色んな問題を持ち込むことになると思っているのよね。
吹奏楽部である以上、吹奏楽をすることが目的であって楽器の演奏は目的にはならない。これはよく強豪校でも聞く話で、「楽器の個人練習がしたいやつは部活をやめろ。自分でレッスンに行け」なんて会話は耳にタコができるくらい聞いてきました。
というわけで吹奏楽をするべきなんだけど、それがなにかが分からない。
でもそんなのは「高校で初めてアメフト部に入った場合だって同じじゃん」って思うでしょう?
ところがどっこい、そうはいかない。
多くの学校では先輩はおろか指導者さえも、吹奏楽ってどういうものでなにをどうすべきなのか知らないんですよね。
例えばどういう曲があるのか、それはどういう風に演奏すべきか、みたいのからはじまり、練習方法はもちろん楽器の仕組みすら知らないなんてのはザラで、結局全てがよく分からん状態で「なんかやっている」みたいになっちゃっているんです。
野球部の監督が野球をやったことがない、っていうケースは少なくとも僕は聞いたことがないけど、吹奏楽をやったことのない顧問の先生なんて死ぬほどいると思います。
でもこれは仕方ないことだし、もちろん先生たちを責めるつもりは全くないです(自分がなにも知らないのにそれを棚に上げて生徒を不当にいじめる顧問は激しく非難しますが)。
楽器の奏法については、プロに教えてもらおうが簡単に習得できるものではないのは言うまでもなく、そもそも教える形も教える人の数だけあるので仕方ないんだけど、「吹奏楽ってこういうものなんだよ!」っていう世界観もないのが僕は悲しいなあと思っているんです。
「世の中にはこういうプロの人たちや上手な学校があってね、こういう曲がよく演奏されてね、最近はこの作曲家が人気があってね…」
とか、そういう盛り上がりってすごく大切だと思いません?モチベーションも上がるし、その世界に興味も湧くし、なにより吹奏楽部にいるなら吹奏楽を楽しむべきだと思うんです。
今だとちょっとこういう会話をするとすぐ吹奏楽オタクと言われる。これもおかしい。そういうのは実力や環境によらず、そのものについて取り組んでいる人たちは誰しもそこに興味があるはず、いや、あるべきなのが正しい姿だと思う。
野球やっているならどんな選手が好きでどういう野球が好きで、どのチームを応援しててとか普通あるでしょう?どうして吹奏楽になると「ただなんとなくみんなで集まって先生から配られた曲を練習する」になってしまうのか、僕は悲しくて仕方ない。
そして、あまりこういう言い方はしたくないんだけど特に弱小校と呼ばれる学校だとこの状況が顕著に現れます。僕も中学は弱小校だったのでよく実感できるんです。
「楽隊のうさぎ」っていう吹奏楽を題材にした有名な小説がありますよね。
この物語の主人公は吹奏楽のすの字も知らないような男の子なんだけど、中学校に入学して吹奏楽部に入ることになる。パートは打楽器。
僕にとってすごく印象的だったシーンは、「練習時間になるとただひたすらなにもない壁を見つめながら机を叩きつづける」みたいな描写(うろ覚えなので違うところあるかもです)。
読んだのはいつだったか分からないくらい昔なんだけど(下手したら中学生の頃かも)、それでもこの「なにをなんのためにやっているか分からない虚無さ」を描いたシーンは心底共感できて、おかしいな、やるべきことは本当にこんなことなのかな、と意識的に思える"気付ける力"を手に入れられたと思う。
僕も中学生の時は毎日似たような基礎練習をやっていて、かろうじて叩いていたのは机自体ではなかったけど、このときは意味や目的も考えず無駄な時間を過ごしていたなと思うんです。
こういうことが今も日本中で起きていると思うと、やっぱりこの吹奏楽部という特殊な状態ってなんとかできないのかなって思うんです。ひとりの吹奏楽愛好家として。
部活動以外であまり発展していないコミュニティだからこそこういう問題が起こるし、それがなかなか表面化しないでずっと問題の種になってしまうと最近はすごく感じていて、こうやってブログで発信してみています。
もうちょっと僕になにかできることはないかなあ。模索したい。
演奏技術の差ではなく部活動としてのレベルの差を浮き彫りにするコンクール
中高の吹奏楽部といえば、コンクールの話をしないわけにはいきません。
吹奏楽の楽しみという意味で言えば、コンクールはその筆頭だと思います。これは「吹奏楽のコンクール」でしか起こり得ないイベントで、むしろ吹奏楽部という独特なコミュニティを舞台としたものだからこそ発展してきた魅力があると思っています。
が。それはそれで素晴らしいことなのだけども…。
これが吹奏楽部という集団にはとても影響を与えてしまいます。
しょうがないことではあるんだけど、コンクールで良い結果を残す学校は、もちろん演奏も上手だしその他の活動もしっかりしている。
挨拶もできるし、ちゃんとコミュニケーションも取れるし、もう見るからに雰囲気が違う。
僕も初めてコンクールとかで強豪校を見かけたときの衝撃はすごかった。「同じ中学生?」と思った。北朝鮮ばりに統合された集団行動力と機敏さ、そして挨拶の声のデカさ。地区大会のコンクールあるあるかな。笑
そうすると何が起こるかってさ、僕たち弱小校は萎縮しちゃうんだよね。
- 「ここはなに?」
- 「なんなのこの人たちは?」
- 「僕らは今日ここで演奏をするの?」
実際に僕もこう思いました。コンクールってどんなものなのかもよく分かっていないのに、いざ会場に着いたらこんな状況になっちゃうんです。音楽の表現を競うどころの話にすらなれないんだよね。野球の大会なのに、野球で競えない。
そう、仕方ないんだよ。分かってますよ僕も。でもなんか悲しいじゃないですか。入学した学校によってもう部活としてのレベルが決まっているなんて。
合奏スキルとかなら分かるんですよ。その学校に蓄積されているノウハウとかがあるだろうし。個々人の演奏技術なんて中学生だったら大差はないはずだしね。
でもさ、それが部活動としての活動レベルの差にまで影響しちゃうのはやっぱり納得がいかなくて。中には本当に吹奏楽に興味を持って入ってきた子もいるだろうに、その3年間はその子にとってすごくしんどいものになるんじゃないかって思う。年齢も年齢だからまわりと比較しちゃうしさ。実際僕も近隣の強豪校は羨ましかったです。まわりの学校と合同練習とかやってもやっぱりちやほやされるしね。
高校生くらいになるとかなり実力で争える感じが出てくるし、学校ごとの色みたいなものも出てくるからまだいいと思っているんだけど、特にこの中学校吹奏楽の事情は本当に変な状況だなと思っています。
吹奏楽を吹奏楽たらしめているものに「コンクール」というものは間違いなくあると思うんだけど、これがより閉鎖的で二極化した状況を浮き彫りにしているんじゃないのかな、とか、そんな話でした。
コンクールについては上記の記事でも色々書いてみています。もとはというとこの記事を書いている中で思いついた話題が今回のものでした。
※こっちはやや火種を抱えている内容なのでお読みになる方によっては不快感があるかもです。
年齢の経過があること
長くなってしまったので、ここはもう省略します。笑
僕は先に見出しをある程度作ってアウトラインを考えるので流れ的にここも予定していたんですが、もうどうせ誰も読んでくれていないだろうしやめます!笑
言いたかったのは「中学時代とかにそういうよく分かんない経験をした思い出だけが残って大人になり、それなりの発言力を持つようになるとそのイメージばかりが話されるから結局吹奏楽の持たれるイメージは進化しない」みたいな感じ。
…こんなに要約できるなら最初からやれよと、今誰しもが思ったはずでありました。
おわり。
あとがき
ここまで書いてきて、僕も今初めて思ったことがある。
吹奏楽って、もう音楽のジャンルだと思わなくてもいいんじゃないか?
よく分からない立ち位置を嘆いてこんな記事を書くエネルギーにもなってしまっているけど、そもそもそれならそれで別にいいんじゃないか、とも思えるようになってきた。
「よく分かんない閉鎖的なコミュニティ」だけど「めちゃめちゃ奥が深くて激アツなコンクールとかもある」とかって言えば、なんか趣味の世界としてはすげぇ魅力的に思えません?笑
今回の件を嘆くに至る理由は色々あるんだけど、ひとつは世間話で頻繁に話題になる「自分はなにをやってきた人間か」という話で「音楽」と回答するとき、そのすごく釈然としない感じに自分でも困っていたから。しかもそれを話す相手は、吹奏楽と聞くと自分の中高時代の吹奏楽部をイメージするじゃない?なんかどう思われているかも分かんないし「ちゃんとした音楽をやってきたわけじゃないんだな」とか思われるとやっぱり心外じゃないですか。
とか色々考えて、もっと世間一般に通用するようなポジショニングができたらなと常々思っているわけですが、この記事でも書いたような色んな事情によって、それは時間が経つだけでは良い方向に向かわないでしょう。
それと、クローズドなコミュニティなおかげで変な人間がやたらと多いし、それをおかしいと思える人間も少ないことが超気がかりっていうのがふたつめの理由です。まあ超おもしろい人も多いんだけどね…。ここは気が向いたらまた書いてみます。
では今回はこんな感じで。読まれているか怪しいけど、もしここまで読んだ方がいましたら感想などいただけると僕のモチベーションも激上がりします。
ありがとうございました!