2日後の明後日(2020/9/18)にクリストファー・ノーラン監督の新作「TENET」が公開されますが、今作も彼の大好きな無限音階が使われているようです。
今回はいくつかポピュラーなニュースサイトで言及されたこともあり、これまでこの "無限音階とやら" を知らなかった人の目にも入っている様子。
では
- この無限音階とは一体なんなのか?
- どういう仕組みなのか?
をなるべく分かりやすく説明してみる!というのを今日はやってみます。
最も身近で分かりやすい例
全人類が生まれて一番最初に聞くことになる無限音階はマリオ64ですね。疑いようもない。
ちょっと音源がDS版っぽいのが微妙ですが意外にもまともな動画が他にありませんでした…
「無限に続く階段」と「無限に続く音階」をかけているわけですが、今にして思えば単純なこの仕掛けもこの時代でテレビゲームに施す音楽的な工夫としてはやはり凄まじい着眼点だったと思わざるを得ません。
とはいえ、1990年のマリオワールドの時点でヨッシーに乗ればパーカッションが加わるようにしていたり、ハイラル平原で時間と状態によって8小節ごとのBGMが自動で結合されるようなシステムを実装していた近藤浩治氏からしてみれば、無限の階段に無限の音階をあてがうことなど息をするように思いつくレベルのことだったのかもしれません。
で、なんの話だっけ?
ああケツワープか。(違う)
さっきの無限音階をもう一度聞いてみましょう。
誰もが「絶対に無限に音階が続くわけなんてないんだ、今度こそ尻尾を掴んでやるぞ…!」と意気込んで注意深く聞き始めるのに、気が付くと音階が上にも下にも聞こえていてずーっと続いてるように感じてしまいます。
…。
おっと、今ヒントがありましたね。
「上にも下にも」、これが紛れもなく無限音階のキーになっています。
音楽的な理屈と無限に音階が聞こえる仕組み
無限音階の仕組み、超端的に説明すると上に昇っていく音階が消えていくのと同時にまた下から新しい音階が現れているだけです。
この事実を知った状態で再度聞いてもらえば「ああ、なんだそんなことか」と意外と認識できることも多いと思います。
三度目で恐縮ですがもう一度聞いてみてください。
「昇っていく音階だけ」に意識を集中しているとたしかにどこかで下のオクターブの音に耳が移行していませんか?
これをもうちょっと理論的に理解してみましょう。
まず「オクターブ」という概念を知る必要があります。
ここではオクターブの定義を「ある音の周波数が2±n
倍にあるときのこと、もしくはその音同士」とします。もっと簡単に言うと、ある音の周波数を2倍にすれば1オクターブ上の音になるということですね。
例えば音叉でも有名な基準音「A」の音(ピアノで「ラ」の音)は440Hzであるべきと定められています。
では1オクターブ上の「A」の音はどういう周波数になっているかというと、
440 x 2 = 880[Hz]
というわけです。もちろん逆も然りで、1オクターブ下の「A」の音は220Hzになります。
ここで注目するべきは人はオクターブ違いの音は同一音として認識してしまいやすいという事実です。
無限音階を不思議に感じてしまう理由はこの一点に尽きますが、それだとまだ釈然としないはずなのでもう少し続けてみましょう。
オクターブ間の音について知るために次に必要になる要素は「倍音」です。
シンセサイザーのような人工音を除き、楽器はもちろん自然界にあるあらゆる「音」は倍音を持って鳴っています。
実はあなたが普段聞いている音は単音ではなく、基準になる音の整数倍の周波数の音を同時に含んだ「合成音」なんです。
さっきまでのオクターブの定義と照らし合わせると「倍音は全てオクターブごとに上に現れてくるもの」と捉えるのは正しい理解ですが、実際には高次倍音ほど隣り合う音程の幅は狭くなっていくために第n倍音のn
とオクターブ数のn
は比例しません。
倍音 | 音程 | 音高差 | 音名 | 平均律との差 |
---|---|---|---|---|
第1倍音 | ユニゾン | 0 | C3 | ±0 |
第2倍音 | 1オクターヴ | 12半音 | C4 | ±0 |
第3倍音 | 1オクターヴと完全5度 | 19.019550半音 | G4 | +1.955セント |
第4倍音 | 2オクターヴ | 24半音 | C5 | ±0 |
第5倍音 | 2オクターヴと長3度 | 27.863014半音 | E5 | -13.686セント |
第6倍音 | 2オクターヴと完全5度 | 31.019550半音 | G5 | +1.955セント |
第7倍音 | 2オクターヴと短7度 | 33.688259半音 | B♭5 | -31.174セント |
第8倍音 | 3オクターヴ | 36半音 | C6 | ±0 |
第9倍音 | 3オクターヴと長2度 | 38.039100半音 | D6 | +3.910セント |
第10倍音 | 3オクターヴと長3度 | 39.863014半音 | E6 | -13.686セント |
第11倍音 | 3オクターヴと増4度 | 41.513179半音 | F♯6 | -48.682セント |
第12倍音 | 3オクターヴと完全5度 | 43.019550半音 | G6 | +1.955セント |
第13倍音 | 3オクターヴと長6度 | 44.405277半音 | A6 | -59.472セント |
第14倍音 | 3オクターヴと短7度 | 45.688259半音 | B♭6 | -31.174セント |
第15倍音 | 3オクターヴと長7度 | 46.882687半音 | B6 | -11.731セント |
第16倍音 | 4オクターヴ | 48半音 | C7 | ±0 |
この倍音表を見ると、最初は1つ飛んで1オクターブも上昇するのに対し、最後の第15~16間ではたったの1半音程度しか上昇していないことがたしかに分かりますね。
そして今回は、第2倍音・第4倍音と呼ばれる2つの倍音がそれぞれ1オクターブ上、2オクターブ上の音になっていることに注目します。
つまり、よく聞こえるはずの近い倍音にオクターブ上の音が混ざっているのにも関わらず、僕らはそれをほとんど知覚できていないということ。
これを裏付けるためというと少し無理やり感がありますが、例えば第3倍音である完全5度上の音(「ド」に対する「ソ」)を聞き取るのは比較的簡単です。
低い音ほど倍音は聞き取りやすいので、大型のアコースティック楽器を聞けば「ソ」が聞こえる人は多いかもしれません。
例としてベースの単音を録音してみたので聞いてみてください。「D」の音に対し「A」が聞こえているはず。これが第3倍音ですね。
しかし上記のベースでそれらの倍音を意識するのは少し難しいかも。
でも安心してください。「倍音を聞き取るには金管楽器がいい」と一般的に言われているので、例えばみなさんの自宅にも必ずある「チューバ」はとても良い例になるでしょう。これでバッチリ!!
それでもよく分からない場合、この音に対してハモるイメージで歌ってみるのがおすすめ。「ハモる」はずなのに実際には「同じ音を歌っている感覚」になるはずです。それはその倍音を意識できている瞬間だといっていいでしょう。
全然関係のない話ですが、倍音を発見したのはマラン・メルセンヌという人だと今回初めて知りました。で、なんと彼は今世界に存在する「ランダム」という概念の核である「メルセンヌ・ツイスター」のまさにその人だということが分かりました。
以前書いた記事でもこの件についてちょうど触れており、すごいところで繋がった…。
しかもこのお方、自分の持つ数学的素養を見事に活かし「隣り合う半音の周波数比が2の12乗根(1.059...)であるというほぼ完璧な平均律を定義した」そうです。
これらの業績により「音響学の父」とも呼ばれているらしい。偉大だ…!
話を戻します。
- 人間はオクターブ違いの音の区別が難しい
- 人間は普段から合成音を聞いており、単音の波形を認識しているわけではない
これらの事実が分かると、無限音階で使っているトリックが少し理解できそうです。
もう一度同じことを言いますが、上に上がっていく音階が消えていくのに従って気付かれないように下の音階を足していくだけです。
太字部分は今回初登場の表現です。
そう、気付かれないように下の音階が足されていれば、いずれ聞こえなくなった上の音階から自然と耳の意識がまた下の音階に移行していくよね、という話です。
いかに音階が増え続けていることに気付かれないようにするかがポイント
無限音階の仕組みはたったこれだけなんですが、実用上はこの「気付かれにくさ」に様々な工夫を凝らします。
理屈上はただ音階が消えつつ増えているだけなので、その両端に明確に気付かれてしまうようだと全くもって無限には感じられません。
代表的な気付かれにくくするテクニックは以下のようなものです。
- 人間の可聴域(20Hz~20kHz)の範囲外を利用する
- 可聴域の両端に近づくに連れて音量を下げる
- オクターブのどの音を人間の耳に基音として意識させるかを制御する
このような細かい音響調整の結果、僕らは無限に続く音階を聞いてしまうということでした。
おわりに
子供の頃から不思議に思っていたものだけども、知ってみればなんてことはないっていう感じでした、よね。
実際、理屈を知ったあとにじっくり聞いてみればたしかにそれを意識できます。特に低音側から追加されてくる音階は分かりやすいですよね。
ところで、下がっていく無限音階というのを初めて見つけて聞いてみたんですが、これがまたなんとも落ち着かなくなる…。笑
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映画もゲームも状況に応じて楽しめる音楽を作れるという点では類似しています。
冒頭のTENETはもちろん、ノーラン映画ではかなり積極的に無限音階が使われていますし、例えばカービィスパデラには「微分音」というものが使われています。
音と数学の関係って、とっても魅力的ですね!